教訓
私は、40年間大学教員をやってきたが、学生にほとんど教訓めいた話をしたことがない。
その大きな理由は、自分自身が人生訓や教訓など垂れるような人間でなないと自覚しているからだ。そんな話は恥ずかしくって、逆立ちしてもできない(逆立ちもできない)。
もう一つは、人生訓や教訓というものが通用するのはある特定の条件下であって、どんな場合にもまた誰にも通用する教訓などありえないと考えているからである。それどころか有害な場合さえある。
よく偉い人の言葉を引用して講話などをしている人をみると、とても気持ち悪くなる。だから私は、そういう教訓話をしなければならない仕事には決して向かなかっただろうと思う。会社の代表、学校の校長、学部長などである(まあ、なりたくてもなれなかっただろうが)。ただ、国立教育研究所時代に「室長」という職についたことはある。ただし、構成員は室長一人で室員はいなかった。
というわけで、先日「赤ひげ」(山本周五郎原作 NHK BS時代劇)というテレビ番組で、船越英一郎扮する主人公が「万人に当てはまる教訓などない」と言っているのを聞いて意を強くした。
しかし、ちょっとまてよ。ではこの「万人に当てはまる教訓などない」というのは教訓ではないのか。もしこれが教訓だとすると、この教訓も万人には当てはまらないということになる。そしてこれが万人に当てはまらないとすれば・・・。パラドックスの典型例である。
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コメント
お元気そうで何よりです。続けて3つの記事を読み、笑えました。夢、偉そうな話など私も同じに感じています。
万人に通じる話がない、はパラドックス。でもこれは証明できない命題かも。これもパラドックス。でもパラドックスのない法則はないのは論理学の教えでは。
さて私は一人に通じるアドバイスはあるかが最大の命題。一人を増やす手があるかで帰納的に万人に通じる法則はある。しかし、それも1億人の1万人です。たった百分の1の確率では。
人はすべて個。だから面白いのでは。個人主義の男故、同じ考えの人がいたら気持ち悪い。面白い記事をありがとうございます。
投稿: tsuguo-kodera | 2017年11月17日 (金) 14時01分