斎藤佑樹と田中将大

昨日駅で買った某週刊誌に、今から8年前の早実・駒大苫小牧の決勝戦の記事が出ていた。15回延長引き分け再試合の末、早実が優勝した。斎藤佑樹投手(現日本ハム)と田中将大投手(現ヤンキース)の投げ合いが話題になった。

記事の内容はなんということもなかったのだが、私にはこの試合のことが結構印象に残っている。 ブログ(日記)をたどると、引き分けになった試合の翌日朝、次のようなことを書いていた。

以下引用

06/8/21 (Mon)

昨日は、ゆっくり高校野球の決勝戦を見た。 率直に言って、「凄い!」の一言である。あの田中、斎藤、両投手の精神力の強さである。 しかし、いくら精神力が強くても、成長過程の身体である。 今日は、二人の将来を考えるなら、監督は二人に投げさせるべきではない。都民や県民(注 「道民」と書くべきだったんでしょうね)、あるいは選手達、選手本人からの非難があろうと投げさせるべきではない。自分の首をかけても。それが監督の責任というものである。 本当は、高野連が、両者を優勝にするとか、試合を延期などすべきである。そういう度量があってもいい。また、朝日新聞社がそのくらいの提案をすべきである(朝日という新聞社は偉そうなことは言うが、そういうことは絶対にできない)。

引用終了

ずいぶん、極端な言い方をしているが、おそらく両投手の将来の活躍に期待しながら一方で両投手のことを心配していたのだと思う。 結局、この日に決勝戦が行われて、早実が苫小牧に勝ち、早実の斎藤佑樹投手は一躍時の人となった。

記録を調べると、田中投手は2試合とも試合の途中から投げているのに対し、斎藤投手は2試合とも完投している。そして準々決勝から数えると4日連続で計42イニングも投げたことになる。

その後の田中投手の活躍は周知の通り。一方、斎藤投手はもがき苦しんでいる。昨年まで4年間で計13勝、今年はまだ勝ち星がない。あれほど騒いだマスコミも、現在の斎藤投手に対しては冷たい。二人の力の差と言ってしまえばそれまでだが、斎藤投手の低迷は、高校・大学を通じた肩の酷使にあることは誰の目にも明らかである(それでも斎藤投手にはもう一度活躍してほしい)。

大会の日程は、できるだけ準々決勝と準決勝の間に休養日が置かれるなど、極端に試合が連続することのないように配慮されるようになった。また、複数の投手を準備するチームが増えてきた。しかし、現在ではプロ野球でさえ、先発、中継ぎ、抑えという分業制が確立し、先発投手は100球前後で交代というのが常識になっている。それを考えると、高校野球はまだまだ前時代的だ。朝日新聞が言い出しさえすれば、すぐに改善できると思うのだが。

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返信メール

大学のある科目の担当者グループだとか、委員会のメンバーでメールをやりとりする(MLをつくるほどではない)することがある。そのメールの中に、内容は1〜2行なのに、以前のメールの残骸がしっぽに長々とくっついたメールを送ってくる人がいる。「全員へ返信」という機能を使えばそのメンバーにてっとりばやく送信できるからだ。ただ、関連する内容への返信ならよいのだが、以前の関係のない内容のメールに返信して、タイトルも「RE::以前のタイトル」というようなメールがある。しっぽの部分がなんと3ヶ月以上 も前の内容だったりする。ちょっと削除すればよいものを。大学教員にもそういうことを平気でやる人がいる。そういう人は、日頃の振る舞いも無礼だ。悪いことに無礼ということに気がついていない。

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怪しいソフト

FBにも書いたが、役に立つ人がいるかもしれないので、書いておく。

無 料アプリをダウンロードしようとして、うっかり悪名高いSystemSpeedup 他、一連の詐欺ソフトをダウンロードしてしまった。コンピュータのシステムエラーを100個以上も指摘し、対策のためのソフトを買うことを求めて来て、ソ フトを買う以外に画面から消えそうにないソフト。その他にも同様のよく似たソフトがいっしょにダウンロードされてしまう。おまけに、このソフトがダウン ロードされると、コンピュータを再起動した時ににもソフトを買うことを求め、Windowsが立ち上がらないようになる(こういう詐欺ソフトは、ウイルス とは言えないのでウイルス対策ソフトでは基本的に退治できない)。私としたことが情けない。皆様、ご注意を。

もちろんこういう時の対策はたているので、すぐに対処した。

対処法 Windows
1 ネットのケーブルをはずす。
2 コンピュータをSafeモードで起動する。
・スイッチを押し、すぐにF8キーを何度かたたくと、起動モードが選択できる。
・Safeモードを選ぶ。
3 Safeモードからコントロールパネル→プログラムのアンインストール
・該当するソフトを選んでアンインストールする。
・該当するソフトは日付を見ればわかる。当日の日付になっていて、インストールした覚えがないものをすべてアンインストールする。

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昨日の囁き

昨日は、幼児教育コースの学生が実習をしている施設を訪問。その電車の中でずっと Twitter していた。いろいろなことを書いているので、文のおかしなところや誤植を訂正してまとめて掲載する。

1 電車で西へ移動中。幼児教育コースの学生が実習している施設へ。明石海峡大橋の側の駅。JR・舞子 or 山陽電鉄・舞子公園。どちらが安いか、どちらが速いか? 別に速い必要はないが・・・       

3 神戸高速線・新開地駅。地下駅。 神戸高速線には独自の電車車両はなく、いろいろな会社線が乗り入れている。阪急はここまで。ハンキュウ、ベリマッチ。ここから山陽電鉄に乗り換え。改札を出ずにそのままホームで乗り換え。地下でWiMaxが使えないので、電車が地上に出てからTwit。(地下ホームでTwitしようとしたのだが、送信できず電車が地上に出てからTwitボタンを押す)

4 山陽電鉄・特急姫路行き。須磨駅。左側に淡路島がかすんで見える。 「淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝覚めぬ須磨の関守」という一首を思い出す。

5 垂水駅。最近太って、おなかのたるみが気になっている。

6 次の停車駅が舞子公園。神戸市の西の端。こうしてみると神戸市は東西に長い。

7 というわけで、施設の訪問が無事終了。今日はちょっとフリーにできるので、寄り道しながら帰ろう。写真がうまくアップできないので、これはあとでブログで。帰りも山陽電鉄で。これは・・・阪神とつながっていて梅田行き。どこで降りるかは未定。
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(後記)このあたりでは、どこかの駅で寄り道し昼から飲める店を探して一杯飲んで帰ろうと思っていた。ところが電車の中で突然思考に変化が(昼12時ごろ)

8 話しは違うが、ここの大学に来て一番おどろいたのは、教員に「勤務時間」「出勤日」という概念がないこと。つまり、授業、会議、その他の業務をきちんとやっていれば、あとは何をやってもよいということ。

9 国立の時代も、それほどきちんと勤務時間があったわけではないし、大学を離れることはできたが、それはその時間には研究やその他の業務をしていることが前提。だから、遊びや私事旅行の場合は年休願いを出していた。ところが、この大学には「年休」の概念もない。(追記 「概念」がないのではなく、制度がないということ)

10 大学教員がそれだけ自由でいられるのは、自由にしておいても自分の生活をきちんと制御し、日々研究にはげんでいる人々だと(少なくとも建前上は)みなされているからである。実は、これはとても怖いことなのである。

11 時間がいくらでもあると思っていると、矢のように時間がたち、気がつけば、四流五流の研究者・・・いや研究者とも言えないような、単なる「大学のせんせ」で終わってしまう。(追記 大学の教員がいくら忙しいと言っても小、中、高の先生と比べるとたかがしれている。当たり前のことだが、大学の教員は研究という業務があるからこそ、小・中・高の先生並、またはそれ以上の給料がもらえるのである。)

12 時間がいくらでもあると思っていると、矢のように時間がたち、気がつけば、四流五流の研究者・・・いや研究者とも言えないような、単なる「大学のせんせ」で終わってしまう。

14 少なくとも研究者と名乗る以上は、「このような研究をしそれはこのように社会や学界に貢献した」というものを残す必要がある。そしてそれは、自分の名誉ではなく、研究という職業を選んだ人間の責務でもある・・・・こう考えてみると、私はまだ自分の責務を果たしてない。(追記 研究がしたいと思って研究の仕事につけるのはよほど運のよい人である。その運に感謝しながら研究と教育の業務に励むべきなのである・・・・・と自省する)。

15 というわけで、電車は阪神三宮についた。 三宮で降りて「山笠ラーメン」という九州ラーメンの店で昼食(500円)。ここのラーメンはチャーシューたっぷりが特徴。
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(このあたりで、飲んで帰るのはやめることに決めている。)

16 というようなことを書きながら、今日は寄り道をして遊んでいてはいけないなあと思い直して、戻って仕事に励むことにした。調べないといけないこともあるし。ただし、今日は大学に戻るより家で仕事するほうが効率的なので帰宅する。

17 家に戻ってきた。これで、発言はしばらく控え、夕方まで一心不乱に仕事。
(追記 いつも心の中では、ひどい怠け者の私と自省する私が喧嘩していて、ほとんどは怠け者の方が勝ってしまうのだが、この日は珍しく自省する私の勝ち) 

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コンピュータ将棋

15日のエントリーの続き。

米長永世棋聖が対戦したボンクラーズというソフトは、もともとは「ボナンザ」というほとんど将棋を知らなに保木邦仁氏が開発したソフトをクラスタリング(連結)したものらしい。ボンクーラーズという人間を小馬鹿にしたような名称もそこから来ているらしい。

このボナンザというソフトのWindows版が、保木氏自身によってプログラムのソースといっしょに公開されている。腕に覚えのある方はぜひダウンロードして試していただきたい。思考ルーチンのソースも一緒に梱包されているが、私にはまったく解読不能(当たり前だ)。

5年前に渡辺明竜王と大局し、ほぼ互角に戦った(最後は竜王の勝ち)ソフトである。私は何度挑戦してもまったく歯が立たない。序盤は何とかなるのだが、中終盤は一方的になる。形づくりさえさせてもらえない。

くやしいが、コンピュータはここまで来ている。もう人間がコンピュータに翻弄される時代が来ているのかもしれない。

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コンピュータ vs プロ棋士

年末に一度書いたテーマであるが、昨日正式な対局が行われた。本日の朝日の記事である。

将棋のプロ棋士とコンピューターソフトが戦う「第1回電王戦」(ドワンゴ、中央公論新社など主催)が14日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で行われ、米長邦 雄元名人(68)が将棋ソフト「ボンクラーズ」に敗れた。公式の対局でプロ棋士がソフトに敗れたのは初めて。元名人は2003年に引退したが、永世棋聖の 称号も持つ元トッププロ。ボンクラーズは昨年の世界コンピュータ将棋選手権で優勝。毎秒最大1800万手を読む。

対局は、後手の元名人が2手目△6二玉という前例のほとんどない手で力戦に誘導した。序盤は互いに手を出しにくい状況が続いたが、ボンクラーズが隙をつ いて攻め始め、そのまま113手で押し切った。持ち時間は一部の公式戦と同じ各3時間。対局はニコニコ生放送で中継された。

米長元名人は「序盤は完璧だったが、見落としがあった。私が弱かった」と無念さをにじませた。

米長元名人は詰将棋を解くなどトレーニングを積み、ボンクラーズと何度も対戦して対策を立てて臨んだが、及ばなかった。昨年末の前哨戦でも、ボンクラー ズにネット上の早指し対局で敗れた。現役棋士はこれまで、公の場でソフトに負けたことはない。棋士とは別の「女流棋士」のトップクラスは一昨年、ソフトに 敗れた。

チェスでは1997年、当時の王者、ガルリ・カスパロフ氏がコンピューターに敗れた。取った駒を使える将棋はチェスより変化がはるかに複雑で、ソフトは なかなか人間に追いつけないでいたが、近年急速に実力が伸びてきた。来年の第2回電王戦では、現役棋士の船江恒平四段ら5人と将棋ソフト5チームが対局する予定。

パソコンが普及しはじめた25年ほど前には次のように言われていた。

将棋の初手で可能な指し手は30手、2手目も30手、2手指した時点で900通りの局面が可能。指し手が進むに従って、可能な指し手は増加する。したがって、100手先の局面は無限大。結局、どんな優秀なコンピュータでも、人間には勝てない。

私も、このように考えていた。しかし、予感はあった。まず、当時でもオセロのソフトに私は勝てなくなっていた。また、チェスにもある程度強いソフトができていた。

数年前から将棋ソフトがやたらと強くなった。少なくとも私の棋力では絶対に勝てなくなった。そして、とうとうこのような時代になった。コンピューターが強くなった理由は、次の二つである。

①コンピュータのスペックの向上
②思考ルーチンの強化

①は自明のことである。今回は数台のマシンを同時に走らせるクラスターという技術を使っている。だが、私は②が大きいと思っている。つまり、コンピュータは、可能なすべての手を読むのではなく、数手先の局面を評価して、はじめから無駄な手を読むことを省略したり、途中で手の探索を中断したりすることができるのである。これは、人口知能の研究の成果である。そして、おそろしいことは、それほど棋力のない人がこのようなソフトを開発していることである。例えば、ソフトの強さわ競う世界コンピュータ将棋選手権には、イギリスや北朝鮮のソフトが参加し好成績をおさめているのである。もはや将棋は文化ではなくなった。

米長会長は、元名人とはいえ、引退した棋士。羽生王位や渡辺竜王が対戦すれば勝てるだろうという見方はできるが、それも時間の問題で5年後にはもう勝てなくなるだろう。人間がコンピュータと対戦するのは、表計算の正確さ・速さをエクセルと競うのと似ている。

こうなると、今度は将棋のゲームとしての存在価値が問題になる。もちろん人間同士のゲームとしての将棋は残るだろう。しかし、プロ棋士が生き残れるかどうか。囲碁にしても将棋にしても、プロ棋士が尊敬されるのは、私たちが絶対勝てないほど強いからである。そして、将棋の盤上に真理を求めて集中している姿に感動するからである。しかし、プロ棋士よりもコンピュータが強くなり、コンピュータが簡単に正解を出すことができるのなら、もうプロはいらない。表計算の競技があってもよいが、そのプロが必要ないのと同じである。

米長氏は敗戦後の記者会見で、陸上競技での車の例を出して言い訳していたが、それは詭弁である。陸上競技には、車は参加しないのである。こちらは棲み分けがきちんとできているが、米長氏は棲み分けをしようとしなかった。負け犬の遠吠えに聞こえて哀れだった。

残念だが、昨日はプロ将棋の終焉を予告する歴史的な1日となった。もう少し、先延ばしにする手段はあったはずだが、会長が自爆してしまった(この対局で米長氏が莫大な対局料を受け取ったという噂話が、週刊誌やネットで囁かれているが真偽はわからない)。しかし、おそかれはやかれこの日はいつかやって来たはずだ。米長氏の責任ではない。そもそも、いつまでも存続するものなどありえないのである(いつまでも存続するものは・・・・・・*)。

なお、この対局はニコニコ動画で放映され、約30万人が観戦した。生放送には、プレミアム会員しかログインできなかったので、私もしかたなく月額500円の会費を支払った。この対局の最大の勝者はドワンゴである。

これを書いていて、他人事ではないことに気づいた。音楽関係の皆様はお気づきですね。

※このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(新約聖書 コリント前13−13)

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ブログ→twitter→Facebook とか

最近はブログなどはどうもはやらないらしくて、Twitter とかFacebook がインターネットコミュニケーションの中心になっているようだ。

私も、一応は登録しているのだが、ほとんど使ったことがない。新しいことを勉強するのが面倒だからだ。しかし、あることを発見して少し使う気になってきた。

とりあえず、このブログと twitter Facebook へと連動させる方法を試してみる。うまくいくかどうか。

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自宅サーバー終了

長年使ってきた自宅サーバーを終了させることにした。
takashiyoshida.com というドメインを使っている。自宅サーバーだと IPアドレスがしょっちゅうかわるので、Dynamic DNS(自分のIPアドレスを監視してIPアドレスが変わったときにDNS(ドメインネームサーバー)に自分のIPアドレス(つまり takashiyoshida.com IPアドレス)を知らせるシステム)で管理していたのである。この自宅サーバーをやめる理由は次の通り。

(1)管理(メンテナンス)が面倒くさくなった。年のせいか、サーバーを動かすのが大変。とくに Linux のCUIコマンドを忘れやすくなった。

(2)セキュリティに自信がなくなった。アクセスログを閲覧すると、攻撃された気配がある。私のサーバーなど攻撃しても何もないと思うのだが、やはり気持ち悪い。

(3)これが一番大きい理由だが、大容量(100ギガ)で安価なレンタルサーバーがあり、これを使うことにしたこと。

レンタルサーバーでも、takashiyoshida.com のドメインはそのまま使え、またIPアドレスを管理する必要もないので簡単である。昨日10分くらいでファイル転送を終えて使いはじめている。ただ、CGI に関してはまだパーミッションの変更作業が全部終わっていないので、アクセスできないページがある。

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というわけでこれまで自宅で使っていたサーバーはお役御免となった。写真は2台目のサーバーで、7年前に中古を20000円くらい買ったもの。Win98が入っていたものに Linux を入れて使ってきた(Apache とCups のみ)。ディスク容量は12ギガだが、WEBサーバーとして使うだけなら十分だった。このスペックでは、サーバー以外にはほとんど使い道がないが、捨てるのはもったいない。

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はずれ

今回の入試問題事件で、このブログに二つのコメントを書いた。まったくピント外れなコメントになった。それは次のような推測を前提にしたためだ。

・一受験生がたったひとりで携帯電話を使ってこのようなことがやれるはずがない。
・最新のハイテクを駆使した組織的な犯罪に違いない。
・だから、この事件の関係者は犯罪を犯罪とも思わないような厚顔な人間だ。
・大学もこのような不正行為は予想もできないし防ぎようがない。

ところが、当事者が逮捕されてみると私の推測はまったくはずれていた。
・普通の予備校生が携帯を使ってひとりで行った不正だった。
・合格したいだけが目的のカンニングの一種だった。
・反省もしている(これは本当のところはわからない)

これなら、たぶん防ぎようはあったかもしれない。たった1度なら見過しがあるかもしれないないが、数回やっている。事実関係が明らかになれば、大学の責任が問われてもしかたがない。

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変だ!

京都大学等での入試不正事件。テレビを観ていると事件に関する大学の責任を口にする評論家もいる。もちろん大学にはこれからこのようなことが起きないようにする責任はある(他人事ではない)。が、起きたことについてとやかかく言うのはばかげている。大学を批判する評論家氏は今回のようなことを予想していたのか。日頃からこういう事態について警鐘をならしていたのならわかる。事件が起きたあとで、批判するだけならだれでもできる。

とういうわけで、私は今回の問題で京都大学を批判するつもりはない。しかし、今回のことから別の意味で、京都大学がおかしな大学であることに気がついた。ニュースで何度も出てくるので気がつかれたと思うが、正門の前に大きな看板が立っている。大きな字で「大学を反戦の砦に」というようなスローガンが見える。私たちの時代の人間には懐かしい看板だが、客観的に見ると美しくはない。そしてどう考えても幼児性丸出しだし、知的水準が低い人間が書いた看板に見える。大学はあれを公認しているのだろうか。それとも見て見ぬふりをしているのだろうか。あれが何度もテレビに映されて平気でいられる大学人の感覚がわからない。


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