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G線上のアリア
原曲はバツハ作曲「管弦楽組曲第3番」のアリア。二長調の曲だが、この曲をウィルヘルミという人がヴァイオリンの独奏曲としてハ長調に編曲したものが、ヴァイオリンの第4弦(一番低い弦)1本だけで弾けることから「G線上のアリア」と呼ばれる。(最低音がGの音だから、開放弦が最低音ということになるが、ニ長調のままでもG線だけで弾けるのではないかという疑問を持つのは私だけだろうか? いやそんなことはどうでもよい)
この「◯線上のアリア」という言葉は、小説などにも流用されることが多い。例えば、内田康夫『死線上のアリア』、森村誠一『捜査線上のアリア』などである。単に『◯◯のアリア』ならもっとたくさんある。
というわけで、朝日新聞紙上でこの4月から湊かなえ「C線上のアリア」という小説の連載が始まった。今日で6日目だが、まだ小説は序章だ。これからどんな展開を見せるのか。いろいろ考える。
G線がヴァイオリンの最低音弦なら、C線は、ヴィオラやチェロの最低音の弦。このことと何か関係があるのだろう。想像すると楽しみである。
昨年は、同窓の大学院の二人の後輩の訃報を受けた。
先日、その一人を偲ぶ会があって出席し別れの言葉を述べた。
私より若い後輩の訃報を受けるのはもうごめんだ。
また、後輩に対する別れの言葉を話すのは、今回が最初で最後にしたい。
今年の十二支にちなむ言葉、変更します。
「鳥も鳴かずにいられない」は撤回です。
諺通り
鳥も鳴かずば撃たれまい
に戻しました。
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目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは 無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい
(阿久悠作詞:時代おくれ)
本年の元旦に、目標をたてた。
次の3つを毎日1時間ずつすることだ。(炙り出し)
(1)
(2)
(3)
でその実現度。(1)1年平均だと超過達成した。しかし毎日やることがとても大切なのだ。7月くらいまではきちんとできていたのだが、あることをきっかけに挫折した。
(2)これも平均するとなんとか達成したが、7月-10月にまったくさぼってしまった。
(3)これはまったくダメ。1年間合わせて3時間くらい。つまり3日坊主だったということ。
どの項目も少しでも毎日続けることが大切なのだが、上のような状態なので成果がまったく現れていない。子どもの頃から叱られ続けてきたこのムラの多い性格は死ぬまで治らないのかもしれない。
というわけで、達成したら炙り出して紹介することだったのだが、達成していないのでまた来年に持ち越しすることにする。
目標は達成できなかったが、今年は退職の年。有り余る時間をどう過ごすかが重要だったのだが、時間を持て余して退屈することもなく楽しい1年だった(のかな)。ただ、お酒の量は相当増えた(昼間から飲んでいることが多々あり)。年齢から言っても少し危険なので来年は少し控えようと思わないこともないこともないこともないこともないこともないこともない・・・・・・・・・・・・・・(来年まで続く)
年をとるとお金に執着するようになるらしい。
私たちの職業でも、定年退職して年金ももらえるのに再就職する人がいる。請われて再就職するのならまだいいがが、わざわざ再就職先を求めて一生懸命の人もいる。
以前は、「あの世にお金は持っていけないのに、なんであんなに金が欲しいのだろう」と不思議でならなかった。しかし、自分がその年齢近くになると少しわかるような気がしてきた。次のような理由からではないか。
・年金というのは期待するほど大きくない。少なくとも年金だけで生計を維持するのは絶対無理。自分も計算してみたが、やはり苦しい。
・年金制度というものそのものが絶対に信頼できるものとは言えない。昨今の老齢化社会、経済状態の不透明感、年金行政の杜撰さをなどから不安がましてくる。
・年金だけでは不安だとすれば、貯金をあてにするしかない。ではどれくらい貯金があればよいのか。あと10年、あと20年と決まっていれば良いのだがそれは絶対に読めない。100まで生きようとは思わないが、死ぬ年齢が見えているのはいやだ。生きている間に貯金が尽きてしまうのもいやだ。「長生きは最大のリスク」でもある。痴呆(私は「認知症」という言葉はきらいだ)、病気など、災害など予想できない出費も計算しなければならない。
そういうわけで、老後の長さが決まっていない以上「お金は貯められるうちにできるだけたくさん貯めて」という心境になるのだろう。私も不安がたくさんある。お金は、酒と本と子育て(金食い虫がいた)と引越し(現在は5つめの職場、北は青森県、南は高知県)と親の後始末に消えたので貯金も少ない。辛うじて、安い安い超古住宅を買えた。
だから私は年をとってお金に辛くなる人の気持ちはわかる。しかし、根っからの怠け者。いつまでもお金のためにあくせく働くのはいやだ。お金、お金とけちくさいのもいやだ。お金がなくなったらそのときに考えればよい。子どもに何も残さないが、迷惑もかけない。潔く生きていこうと思う。
阪神淡路大震災から20年。
私は当時東京暮らしだった。東京から高知の家族のもとに戻るときには、新幹線を利用することが多かった(飛行機はあまり好きでない)。震災の影響で、その時は新大阪・姫路間が不通だった。関学のある西宮甲東園付近の桁が崩壊したからだ。
新幹線が復旧するまでは、新大阪から姫路までは在来線とバスが代替した。ただ、神戸市内の三宮付近だけはバスも動かず歩いて移動した記憶がある。そのときに震災後の三宮の崩壊したビルを見て震災の恐ろしさをこの目で感じた。
偶然のことながら、6年前から震災のあった地方に住むことになった。今は震災の影すら見えないほど、復興を遂げている。最初に勤めた頃は、震災の記憶のある学生がいたが、現在ではほとんどいなくなった。それどころか震災後に生まれた学生も入学してきた。直接の被害にあった人々を除いて、震災の記憶もだんだん薄れてきている。
しかし、忘れてはならない。20年前にこの地で起きた悲劇を。そして、そのような悲劇がまた今日にでもこの日本に起こりうることを。そしてそれは避けることができないことを。
犠牲者の冥福を祈るとともに、危機に備えよう。もうすぐ、5時46分だ(合掌)
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