ミカドの肖像
猪瀬直樹著『ミカドの肖像』(小学館文庫、2005、初出は19
鋭い筆致で西武(コクド)の堤一族の闇をえぐり出すところはじま
お願いだからすぐ辞めてほしいと思うのは、猪瀬ファンだからかも
年末・年始はテレビ漬。
年末年始は、おもしろい番組は少ない。お笑い番組は観ない。芸人が内輪で楽しんでいる(ように見える)番組は嫌いだからだ。観る番組がない時は、録り溜めしていた番組を観る。いくつかの感想。
年末の国民的番組・・・一応観る。いつもつまらないが今回ははますますつまらない。
・ケツを振って踊るお隣の国のグループ。バカにされているようだった。彼女たちがそうしているのではないのだろうが、彼女らを観て喜んでいる日本人を笑っている人がいるような気がする。
・口パクが余りにも多すぎる。これでは生番組の意味がない。特定の歌手を特別扱いするのもどうか。
・一番気になるのは、「歌の力」への過信。「震災」を利用しているようにしか思えない演出もあった。天下のNHK、そろそろこの番組の見直しも必要ではないか。
元旦の「相棒」スペシャル「ピエロ」は面白かった。この番組は脚本が実に良くてできている。そして音楽の入れ方が丁寧である。とくにこの日のオペラの場面。あのオペラは確か・・・・
2日、3日は箱根駅伝。大学生の、それも関東の学生の競技を全国放送し、それをみんなが楽しんでいるいうのもどうかと思うが、今の学生気質がわかってそれなりに面白い。それにただ走るだけ。実に単純。スポーツの基本である。
3日のライスボール。前半、よろこんだのもつかの間。最後は完敗となった。
WOWWOWで録り溜めしていた「男はつらいよ」シリーズ。最初の三作を観る。1969年1970年の作品である。晩年の寅さんに比べると、このころの寅さんはもっと元気のいい乱暴者である。聞き分けも悪く迷惑の掛け方も半端ではない。こういう人間が身内にいたらたまらないなあと思うが、他人事と思って観ている分には面白い。ところで、寅さんの職業は的屋。暴力団とのつながりが指摘される職業である。寅さん自身が仁義を切る場面もある。現在では、受け入れられなかった作品かもしれない。
同じくWOWWOW「荒野の七人」。なつかしい映画である。1960年の作品。小学生の頃、劇場で観た記憶がある。ユル・ブリンナー、スティーブ・マックウィーン、チャールズ・ブロンソン、ロバート・ボーンら、ハリウッドのスターが続々。とにかく面白い。黒沢明監督の「七人の侍」のリメークだから。
他にもかなり観たのだが、もう何を観たのか忘れかけている。
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テレビばかりでは、脳みそも体も鈍ってしまいそうなので、今日から始動。大学に出る.
サユリさんの宣伝につられて、クアトロンを見に、Joshinに行ってきた。すぐにメーカーから派遣されているらしい係員がそばに来て説明してくれたのだが、実際には大きな差があるとは思えなかった(それどころが、少しの差も感じなかった)。
クワトロンとは「赤」「緑」「青」の色光の三原色に「黄」が加わることになったので、より画面が鮮やかになるというものだが、素人の私には眉唾にしか聞こえない。以下は素人考えである。
そもそも、「三原色」という言葉があるのは、その三原色ですべての色を表すことができるからだ。黄色は赤と緑の光を合成すればよいことは私でも知っている。だから、原色に黄色がなくて黄色は表せるのである。
あらたに黄色を三原色に加えることで、まあ少しは色が鮮やかになったとしても(どんなメリットがあるかはわからないが)、その元になる放送局は四原色で放送しているわけではない。「黄色」の画面を送るときは従来のまま赤と緑を合成して送っているだけなのだ。三原色で送信しているのに受信する側が四原色にすることにどんな意味があるのか・・・そこがどうもわからない。係の人にも尋ねたのだが、納得できる答えはなかった。
実際にそう変わり映えするものでもなかったし・・・・。トリトロンで十分だと思うのだが。
だれかそこのところを私のバカ脳にもわかるように説明してくれないかなあ。
そうでなければ、いくら大好きなサユリさんのおすすめでも乗るわけにはいかない。
『週刊文春6/3号』を買う。文春が好きなのは特集記事よりも、連載が豪華だからだ。
好きなの著者は、小林信彦、江國香織、土屋賢二、先崎学、鷲田康、中村うさぎ・・なぜかと言われたら少し困るが。
気になった記事二つ。
いつ倒れるか分からない。その覚悟で落合監督は今期に臨み、5月21日の西武戦でプロ野球27人目の通算500勝を達成した。
「そっちを歩いていいかな」
その日の落合監督の言葉学だ。
担当記者を引き連れ、西武球場のベンチ裏通路から百段近い階段に来たときだ。落合監督はこう言うと、右側の手すりにつかまり階段をゆっくりと上った。
鷲田康『野球の言葉学』
私は、カープ・ファンだが、落合監督は現役の時から好きだった。かなり体の状態がよくないらしい。少し心配だ。
先崎学の「先ちゃんの浮いたりしずんだり」は「林葉直子棋戦出場」のニュースは取り上げている。先崎八段と林葉元女流棋士は、米長邦雄門下で姉弟弟子。
雑音も多いだろう、負けることへの恐怖もあるだろう。それらの煩悩を振り切って、澄んだ気持ちで盤に向かってほしい。将棋は失敗した人間にとって優しいゲームである。将棋を指せることの喜びが指し手からわき出てくるような棋譜を見せてくれることを期待している。
弟弟子らしいやさしい言葉である。
連載以外は、総じてくだらない。例えば、「新入社員「できる大学」「使えない大学」」という記事。
サラリーマン・OL2000人にアンケートをして、どの大学の出身者が「できる」新人で、どの大学の出身者が「使えない」新人かをたずねた結果だと言う。
できる大学ベスト10と使えない大学20大学が掲載されている。
大学ができる大学でも使えない大学でも順位ほぼ同じ。
ベストもワーストも早稲田。関西学院はワースト18。ベスト10には入っていない。あとは、先輩社員の新人評。たまたまそのその新人がある大学の出身者だっただけの話し。まあどうでもよい話しですね。
『現代教育科学』(明治図書)2月号特集は、「『伝統と文化』教育で日本文化を見直す」。
いろいろな主張が行われている。主張に対して言いたいことはある。しかし今回取り上げるのは、中点の多用についてである。
巻頭の梶田叡一氏の論文のタイトルは「伝統・文化の教育の復権と振興」。特集のタイトルは「伝統と文化」だったのが、「伝統・文化」に変わっている。また梶田氏は本文で「こうした動きの中で重要なポイントになっているのが、『文化的伝統の教育』である」と述べる。「伝統と文化」と「伝統・文化」と「文化的伝統」は同じなのか異なっているのか。こうなると梶田氏が「伝統」「文化」をどのような意味で使っているのかがわからなくなってくる。
市毛勝雄氏の論文タイトルは「『漢字・かな』」自体が日本の伝統と文化である」。ところが、本文では「ようやく『伝統・文化』が示された」として、わざわざ括弧書きして中点を使っておられる。また、まとめの主張では「『漢字・ひらがな』こそ伝統文化である」になっている。「漢字・かな」が「漢字・ひらがな」になり、「伝統・文化」が今度は「伝統文化」になっている(カタカナは伝統・文化ではないのだろうか)。国語についての主張であるのに、これほど言葉の使い方がぶれてよいのだろうか(自分のことは棚に上げている)。
次の永添祥多氏の「「伝統と文化」の教育が学校にもたらす無限の可能性」では中点がもっと多用される。論文タイトルは「伝統と文化」になっているのに、本文では「伝統・文化」。そして「児童・生徒の変容」「達成感・成就感の獲得」「礼儀・マナーの習得」「能力・態度の育成」「教員の資質・能力の向上」「諸国家・諸民族との共生」とまるで中点のオンパレードである。
そもそもこの中点を使う習慣は日本語の伝統と文化に合ったものなのだろうか(私も無意識に多用する)。国語審議会の席上でも「審議会内部の委員会報告の中に中点が多くて読みにくい」という笑えない発言があったという。私も実は学校の国語では習った記憶がない。ワープロの産物ではないのだろうか。市毛氏は「教員志望者の卒論は万年筆で手書きさせよ」と主張しているのだが、市毛氏のこの原稿は手書きだったのかワープロだったのか。
自分のことはもう一度棚に上げるが、これだけ言葉の使い方がぶれると、主張そのものが信用できなくなる。そして門外漢のコモノから揚げ足を取られることになる。
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昨日は大学で小さな研究会と教授会。教授会はさっと終わった。
今日はある委員会。ところで関学では、委員会の責任者を「委員長」ではなく「コンビナー」と呼ぶ。副責任者は「サブ・コンビナー(こういうときに中点は便利である)」である。関学の伝統でもあり文化でもある。
昨日は相撲界のニュースが二つ
貴乃花親方が理事選挙に当選。いままでの選挙のやり方がひどすぎた。一門で票を振り分けるのなら、はじめから一門で代表選挙をすればよいのだ。貴乃花親方の立候補はこの悪習を破っただけで意味がある。
朝青龍問題。理事長の対応はまるで他人事のようだ。自分が相撲界の最高責任者であることをまったく自覚していない。
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新聞の広告欄を見て、また買ってしまった。『週刊現代』2・13号。
特集のタイトルは
「日本人はバカになった」は本当か
リード文を読めば、記事の内容はすぐわかる。
「漢字が読めない書けない。ことわざの意味は知らない」と例によって大学生のレベルからはじまり、「そして何よりも働かない。途上国からもバカにされる学力と国力」とバカが国民全体に蔓延していることを嘆く記事である。
この記事に書かれていることには、すべて心当たりがある。実際に深刻な問題だとも思う。しかし、同じ週刊誌の巻末の「Oh! モーサツ(妄撮)」と題したはグラビア記事は何だ。文章で説明するのも恥ずかしい。私も嫌いなほうではないが(?)、それにしてもひどい。こういう週刊誌を見た外国人は「やはり日本人は・・・」と思い、あの問題を連想するに違いない。
同じ週刊誌が、一方で日本人のバカさを嘆き、一方で日本人のバカさを増長させる記事を掲載する。出版社系の四大週刊誌の中でも、ここが一番ひどい。この週刊誌をわざわざ買う人間の知的レベルも相当ひどい?
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