音楽を聴きなが歩く

年をとるにしたがって、猛烈に音楽を聴きたくなってきた。それもクラシック音楽が。最近は、シューベルト、シューマン、ブラームス、ブルックナーなどロマン派な大曲が中心だ

実は思いっきり聴くために、Amazonのプライム会員になった。そうすると演奏者を選ばなければ大抵の楽曲はストリーミングで無料で聴ける(ダウンロードはできないが)。

昨日は、3時間ほど散歩したのだが、歩きながら聴いた曲が、ブラームスの交響曲全集

西宮北口まで歩き、人と会ってちょっと飲んだ。いい気分で帰りは電車に乗った。駅から自宅まで1キロちょっと、100mくらいは登らなければならない。結構これがきついので、また音楽を聴きながら歩く。

全集の続きでハイドン変奏曲をかける。20分少しかかる曲だ。気持ちの良い曲なので歩くのもそれほどしんどくない。主題からはじまって、第8変装が終わったところで自宅のドアに着く。ところがあと終局(パッサカリア)が残っている。これを聴かないで中断するわけにはいかない・・というわけで、そこいらを2〜300メートルほど歩いて戻ると、ちょうどコーダが終わって再び自宅に到着。

歩きながら音楽を聴くと、「距離が短いなあ」と思うことがある。なぜか得したような気分になる。

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ケルテスの「新世界」

ケルテス指揮・ウィーンフィル「新世界から」
(1961年録音1964年発売)

ヤフオクで入手した。
長い間探していたものが出てきたような気分だ。

Img_2428

高校生の頃レコードの新譜は1枚2000円だった。高校の授業料が1000円もしなかった時代だから、相当に高い。昼食さえ節約してやっと1年に数枚帰るくらいだ。だから、1枚1枚を大切に扱った。
このレコードは、とくに気に入っていたので思い出がある。

指揮者のケルテスは73年に43歳の若さで事故死する。このレコードは後々まで「新世界の名盤」と言われた。若いエネルギッシュなケルテスをウィーン・フィルが包み込むように演奏しているというのが私の印象。若いケルテスとしにせのウィーンフィルの絶妙のバランスで生まれた演奏だったのではないか。そして、このレコードにはおまけとしてジャケットに全曲スコアが付いていた。それを見ながら聴くこともあって、何度聴いてもあきることはなかった。

ただし、レコードは消耗品。どんなに大切に扱っても何度も聴けばすり減ってしまう。とくに当時の私がもっていた安物のプレーヤーではなおさらだ。最後はとても聴くに堪えられるものではなくなって、そのうちにどこかに消え失せた。

この演奏をまた聴きたいと思っていたらCDが出ていたので2000年頃に買った。ただ、CDで聴いた演奏はレコードで聴いたものとは全く別のもののような気がした(もちろん同じ演奏である)。ウィーンフィルよりもケルテスの荒々しさのほうが勝っていて暴力的だ(それはそれでよい演奏なのだが)。微妙なリズムの不揃いまでしっかり耳に入ってくる。それで、LP盤をどうしてももう一度聴きたくなったのが今回入手した理由である。LP盤は、やはり私が高校生の頃聴いた印象と変わらなかった。

LPとCDでなぜこんなに違うのか。もちろんCDのほうが高音域をきちんと再生できる。しかしそれ以上にレコード録音そのものの特徴ではないかとも思われる。

よく知られているように、音楽の低音を再生するには高音よりも大きなエネルギーが必要になる。レコードの溝に高音と低音をそのまままのレベルで刻むと低音は振幅の大きな波形を刻まなければならないので再生すると針飛びしてしまう。それで、あらかじめ高音は大きめに低音になるほど小さくしてレコード盤に刻んでおく。そして再生の時に低音を大きく高音を小さくして元のバランスにもどす。この元のバランスに戻すのがPhonoイコライザーだ。この高音を大きく低音を小さく録音するためのレコード会社の統一規格がRIAA曲線と呼ばれるものだ。ただ、統一規格と言っても、実はレコード会社によって微妙な違いがあったのではないだろうか。レコード・レーベルによる響きの違いは高校生の頃からなんとなく感じていた。演奏者のほうも、そういう録音の特性というのを意識していたのかもしれない。当時のレコードの批評には、録音の良し悪しについてもよく書かれていた。このレコードにも宇野功芳が「レコードとしての録音のよさも、特筆に値します」と書いている。

ただ、演奏で一つ残念なことがある。スコアを見ながら聴くとすぐわかるのだが、第1楽章の提示部には繰り返しがあり、その最後の4小節は第1括弧でくくられている。そして第1括弧と第2括弧はまったく違う音である。この当時までは第1括弧を演奏せずに第2括弧へ行くのが普通だったようだが、このレコードも同じだ。しかしこうやると作曲家の残した譜面の1部が省略されることになる。だから、後に省略のない演奏を聴いた時は衝撃的だった。私は、少なくとも第1括弧、第2括弧が異なる時には繰り返しを省略すべきではないと思う(近年は繰り返しのある演奏も増えてきた)。

というわけで、このレコード1枚でいろいろなことが考えられる。

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TeX 及び MusiX TeX(楽譜組版ソフト) を使うためのメモ

はじめに

私は、文書作成に て TeX (テフ)を時々使う。論文の中で数式を使うことが多いからだ。
ワープロにも数式を書く機能はついているが、普通は TeX を使うほうがはるかに簡単できれいにできる。

例えば、次のような "sushiki.tex" というようなテキスト・ファイルをテキストエディタなどで作成し(Windowsならメモ帳)などで編集し、例えば sushiki.tex という名のファイル名で保存し、 コンパイル(ファイルの変換操作)すれば、sushiki.pdf という文書が生成される。TeX とはと、一定の規則で書かれたテキスト文書ををつけて印刷文書に変換するソフト(コンパイラ)なのである。

%はじめ
¥documentclass{jsarticle}
¥begin{document}
$¥displaystyle I = 1200 ¥times ¥log_2 ¥frac{f}{f_0} =30.18$....¥¥

$¥displaystyle ¥left( ¥frac{3}{2} ¥right)^4 ¥times ¥left( ¥frac{1}{2} ¥right)^2 = ¥frac{81}{64}  = 1.265625...$
¥end{document}
%おわり

Sushiki
このような数式を使う文書でなくても、TeXは文章の編集には非常に便利である。とくにMacの場合は、付属しているヒラギノフォントの良さを十分に引き出すことができる。また、私自身がとても便利だと思ったのは、次の点だ。

(1)数式・・・これは上に書いた通り
(2)2段組の文書が非常に書きやすい。
(3)注(脚注、後注)が簡単につけられる。
(4)章、節等の階層化がわかりやすい。
(5)文献の整理

だから、これからは、文章は TeX 中心にしようと思っている。

というわけなのだが、前々から気になっていたのは、TeXには楽譜を編集するソフト MusiX TeX があるということだ。適当なマニュアルがみつからない(英語版はある)し、まずインストールが相当難しいと思っていたので、使用は諦めていた(使用できるころは死ぬころと思っていた)。

ところが、インターネットのWIKIをみているうちに思った以上に簡単なことに気付いたのだ。早速簡単な楽譜を作ってみたのだが、それがすぐにできたのである。私の MusiX TeX 第1号は次の楽譜である 。
Furusato
というわけで、以下はこのMusiX TeX を使うためにはどうすればよいかについて述べる。

1 TeXのインストール
MusiX TeXを使用する前に、まずは普通の組版ができるようにTeXそのものをインストールしなければならない。

TeXは無料ソフトで、Windows、Mac OS、Linux 版のいずれもがインターネットからダウンロードして使えるようになっている。ただし、実際にに自分でこれらのファイルをすべてインストールするのはたいへんである。私は、この本(おそらく日本では一番わかりやすいTeXのマニュアル)を買い、それに付属しているDVDを使ってMacにインストールした(Windows Linux 用もDVDに含まれている。あとはマニュアル(この本)をしっかり読んでいけば、普通の文書はすぐに書ける。

(1) まず、テキスト文(ベタの文)をつくる。
(2) テキスト文にコマンド(HTMLのタグのようなもの)を付ける。
(3) texというの拡張子のファイルに保存する。
(4)  コンパイルする。

これだけである。ただ、上の(2)が少しややこしいだけであるが、基本的なコマンドだけ覚えてあとは、必要なときにマニュアルを参照すればよい。Google で検索しても対処法は出てくる。

51unf22nkgl_sx402_bo1204203200_

2 MusiX TeX のインストール
私が一番悩んだのは、MusiX TeX をどうやってインストールするかということだったのだが、実はなんということもなかった。楽譜 TeX Wiki をみたらちゃんと書かれているではないか。

TeX Live, W32TeX には最初から MusiXTeX がインストールされています。

つまり、TeXをコンピュータにインストールした時点で、楽譜TeXも使えるようになっていたということなである。

で、次にどうするのか。今のところ MusiX TeXにはGUIが準備されていないようだ。つまり、コンパイルの作業はCUIで行わなければならない。つまりMAC なら、アプリケーション・その他にあるターミナル、Windows ならアクセサリにあるコマンド・プロムプトを使うのである。これができれば、あとはマニュアルさえ丁寧に読めば、だれでも綺麗な楽譜が書けると思う。

次回は、MusiX TeXの文法とコマンドの使い方を簡単に。

*MusiX TeXで編集された楽譜がいろいろ公開されている。たとえば、ここ

(以下続く)

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やなせたかしさん

漫画家(?)のやなせたかしさんが亡くなった。

私にとっては「手のひらを太陽に」(いずみたく作曲)の作詞者というほうがピンと来る。
いずみたくが次のように書いている。
「作詞はやなせたかし。番組で歌う歌手は宮城まり子。
この曲は大人がうたう曲として作られた。だから、リズムもバイヨンというラテンのリズムを使っている。
そのころ、宮城まり子とやなせたかしとボクの三人は大の仲良しであった。ボクは、宮城まり子のために”泥の中のルビー”というミュージカルを作った。そしてまた、やなせたかしといっしょに、宮城まり子のコンサートの曲を作っていた。
ちょうどそのころの曲である。まり子がいつもコンサートでうたえるようにと考えていたテーマを曲にした。その時はたいした反響もなかったが、NHKの”み んなの歌”で取り上げられてから旧に大勢の人たちに歌われだした。それはアッという間のできごとだった」(いずみたく『体験的音楽論』(国民文庫、 1976)
私が”みんなの歌”で最初に聴いたのは小学生の頃だったと思う。だからもう50年以上も前の歌である。宮城がねむの木学園を設立する、そしてやなせがあんパンマンをはじめるずっと前の話である。

長く豊かな人生だったと思う。

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コテコテ

私の大学の学校礼拝で使う讃美歌は『讃美歌21』。旧『讃美歌』『讃美歌第二編』から相当曲が入れ替わっているし、また歌詞も口語体になっている。新しく入った曲、個人的に言えば好きでない。讃美歌はやはり四声体できちんと書かれた、和声学のソプラノ課題の模範解答みたいな曲がしっくりする。・・・という私は、単に「コテコテの讃美歌」が好きというだけ。

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主我を愛す

GWの中日の1日(水曜日)。以前から、学校礼拝で話しをするように依頼されていた。私は、ここにも書いたように心に染み入るような話しをするのは苦手である(シモネタなら大丈夫だが、学校礼拝では死んでもできない)。当然、音楽の話しになる。私が選んだタイトルは「主我をアイス」(カタカナにした意味は何もない。話しのタイトルをメールで送った時に全く確認せず出したらカタカナだったようだ。単なる変換ミス)

2~3日前から風邪で声が森進一状態だったが、それも一つの表現法と思って礼拝にのぞんだ。与えられた時間は20分。その中で次のような話しとパフォーマンスをした(出席者はいつもより少なく30名程度)。
(1)1番をギター(フォーク)弾き語りで歌う(旧賛美歌版「主我を愛す」の歌詞。ニ長調だが、声が出ないのでハ長調で。コードも弾きやすい)
(2)阪田寛夫『童謡の天体』(講談社)を紹介しながら、この曲が明治時代から歌われていたことを話す。阪田寛夫は、聖和大学・聖和短期大学学歌「新しき歌」の作詞者でもある(格調高い歌詞だ)。
(3)同じくギター伴奏で明治時代の歌詞で歌う(「エス我を愛す」)
(4)大阪弁の歌詞も存在したことを話し、ギター伴奏で歌う(エスはんわてを好いたはる)
(5)私の祖父が「我が主エス」の部分で頭を深々と下げていたこと、4番まであるので12回頭をさげていたことなどを話す。
(6)私は子どもころふざけて「・・・おそれはあらじ、かぜかぜ吹くなしゃぼん玉とばそ」と歌っていたことなどを話す(歌つき)。「おそれはあらじ」「こわれて消えた」が同じ旋律であること、どちらも「ファ」と「シ」がないことなどを話す。
(7)この歌の歌詞のポイントは、主語が「我々」「私たち」ではなく「我」「私」であることを話す。「私たち」より「私」のほうが強い。
(8)出席者といっしょにこの歌をいっしょに歌う。リフレの部分のアルトとテノールを練習する。ベースは同僚にオルガンを弾いてもらう。(ここから二長調に戻す。声はひどいが勢いで歌う)
(9)最後にみんなでギター伴奏で歌う。少しポップ調の「主我を愛す」になった。最後にリフレをもう一度繰り返し、最後の「我が主エス」で止め、「我を愛す」をゆっくり歌う(ちょっと悪のり)。

というわけで、ちょっとは楽しい礼拝の時間(?)になったかナ。

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太平洋戦争とスメタナ

ユーキャンが「太平洋戦争」というDVDの宣伝をしている。今朝の朝刊には4面刷りの広告特集が入っていた。その上にテレビCM。「詳しくは今朝の朝刊で!」

ここまではよいのだが、そのバックの音楽が、スメタナの「モルダウ」。どうやったらこの組み合わせが生まれるのか。

しかし、よく考えてみると、私がこの組み合わせに違和感を持ったのは、私がこの曲がスメタナ作曲の「モルダウ」であり、この「モルダウ」が連作交響詩「わが祖国」の中の1曲だということを知っているからかもしれない。

スメタナにとっての「我が祖国」は当然のことながら「チェコ」である。しかし、そういう情報さえなければ、つまり音だけの情報としてこの音楽を聴けば、あるいは知識としてそのことは知っていても意識しなければ、この組み合わせにも何の違和感も生まれないのかもしれない。

「我が祖国」の中でも「モルダウ」は他の曲と比べると完成度の高い曲で、また「西欧的」でもあり、スメタナの作品の中では「ナショナリズム」のうすめられた作品でもある。それは、同じ連作交響詩の中の「ヴィシェフラド」と比較してみると分かる(私はこちらが好きだが)。音楽において「西欧的」であるということは、グローバルということである。うっかり、CMに使われても仕方がないというべきか。

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林光氏逝去

作曲家の林光氏が逝去。

音楽教育界ともずいぶん深く付き合ってくれた方である。私は1986年の日教組の教研集会(当時は大学の教職員組合は日教組に加盟していた)に参加したのだが、丸山亜紀氏と二人で音楽分科会の世話人をされていた。組合教研の音楽分科会と音楽教育の会は、ほとんどこのお二人が支えてこられたようだ。

林光氏は、学習指導要領とは正反対のところに立っておられた。もちろん、自分の音楽を追究すればその位置に立たざる得なかったということであろう。残された音楽はすばらしいのに、ほとんど教科書に掲載されることはなかった。音楽教育界はあえて氏を無視しているようなところもあった。

氏の音楽観、教育観について賛否合わせて書きたいことが山ほどあるのだが、相手が大きすぎて書けない。 合掌

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楽譜

アレンジを頼まれて、久々に長めの楽譜を書いた。

ただ、できあがりはきたないし読みにくい。
昔はもうすこしきれいで読みやすい楽譜が書けていたはずなのだが。
学生時代にある先生から習った書法があるのだが、それも慣れがあってのこと・・・・

こう考えると、いつも楽譜を書いている作曲家という仕事をしている人はすごいなあと思う。

野球
気がつけば、カープが2位に。今日だけ喜んでおこう。
高校野球。あの島根県開星高校の野々村監督が復活。抽選会の服装を見る限り、何も変わっていない。学生時代を知っている私は、負けたときよりも、勝った時の発言のほうが心配。

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久石譲

大阪城ホールで開かれた「久石譲 3.11チャリティーコンサート THE BEST OF CINEMA MUSIC」に行ってきた。聴衆は1万人くらいだったろうか。大阪城公園駅前から人、人、人。

久石の音楽をつけた映画作品の映像をスクリーンで映し出しながら、久石自身が大編成のオケと合唱を指揮するというもの。曲目は次のとおり

風の谷のナウシカ
もののけ姫
THE GENERAL
譲子弾飛
太陽照常升起
BROTHER
HANA-BI
キッズ・リターン
ハウルの動く城
おくりびと
千と千尋の神隠し
菊次郎の夏
悪人
崖の上のポニョ

久石の作品については皆さんご存知の通りなので書かないが、コンサートの問題が二つ。

・仕方ないことかも知れないが、マイクとスピーカーを使用していた。そのためかピアノの音がまるで電子ピアノのように安っぽくきこえる上に、とくに300名ほども集めたらしい合唱団の声が台無し。なんとかならなかったものか。ロックコンサートのようで。
最後は頭が痛くなってしまった。

・映像と音楽のリンクの試みだが、この状況の中で北野作品や「悪人」の暴力・殺人シーンやベッドシーンを見せるのはいかがなものか。子どもたちも参加しているし、子どもの聴衆もいる(私は北野作品そのものを1つも評価しないので、そう思うだけかもしれないが)。

もちろんチャリティーコンサートなので、私が支払った入場料が一部でも役に立てばよいので、コンサートそのものの趣旨には反対しない。ただ、他の聴衆の方のように、スタンディング・オペレーションをする気にはならなかった。欲求不満と後味の悪さだけが残った。

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