干支

私のHPには、その年の干支(えと)と、十二支にちなんだ諺を掲載することにしている。
今年の干支は、「丁酉」(ひのととり)である。

ここで、簡単に干支の復習

干支の干(かん)とは十干のことである。

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸

意味は、木、火、土、金、水のそれぞれ兄、弟で訓読みすると、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、と読む

10年で一周するのだが、西暦の最後の1桁に4のつくのが甲(きのえ・こう)年である。だから、0がつくのは庚(かのえ)である。ちなみに今年は7がつくので丁(ひのと)である。

次は支だが、これは誰もが知っている十二支であり、12年を周期にしている。

子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

こちらは12で割り切れるのは申年である。それから、西暦がわかればどの年が何の年かはすぐに分かる。今年、2017を12で割ると1余るので、申の次の酉である。

分かりやすい例を一つ。例えば、1924年は10で割ると余りが4(最後の一桁が4)。12で割っても余りは4。つまり、「甲子」の年。この年にできた野球場は「甲子園球場」と名付けられた。

ついでに、10と12の最小公倍数をとると60。干と支が両方会うのは60年に一回。だから60歳になることを還暦というのだ。今年還暦を迎える人は、60年前丁

酉年(1957)に生まれた人のことである。⚪⚪︎さん、おめでとう。

さて、では今年の十二支にちなむ諺

「雉(鳥)も鳴かずば撃たれまい」が気に入った。世の中の人から攻撃されないよう、しずかに潜んで生きようということだ、しかし、これを人に話したら「それはあまりにも内向きなんじゃない?」と言われた。で、反省して訂正した次第。少しは鳴くことにする。

| | コメント (0)

新年おめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

ホームページに書きましたとおり、本年の干支は甲午(きのえ)です。
甲は十干の始めの年。つまり最初に戻ったことになります。西暦と言うと最後の一桁が4の年が甲年ということになります。

毎年ホームページには十二支にちなんだ言葉を掲載しますが、「馬の耳に讃美歌」といたしました。これには私なりに深い深い意味がありますが、そっと胸にしまっておきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


| | コメント (0)

指示語

年をとると、指示語が多くなる。自覚があればよいのだが、自覚がないのは困ったものである。

昨日のミーティング。私は知らないうちにかなり指示語を使ったらしい。「あれをこうして、これをそうして・・・・・・、これからあれに・・・・・」。とうとう出席者の一人から「あれやこれではなんのことかわかりません」と叱られてしまった(泣)。

でも言ってもらってよかった。時々言葉が思い出せなくなることは自覚しているのだが、「あれ」や「これ」をそんなに使っているとは自覚していなかったからだ。まずはおちついてゆっくり、何をいいたいのかきちんと準備して話すことが大切だな!

| | コメント (0)

麻生発言(続き)

昨日(8月5日)付『産経新聞』朝刊に櫻井よし子氏が奇妙なことを書いておられる。本日電子版にも掲載された。

7月29日、私が理事長を務める国家基本問題研究所(国基研)は「日本再建への道」と題した月例研究会を主催した。衆議院、都議会、参議院の三大選 挙で圧勝、完勝した安倍自民党は、如何(いか)にして日本周辺で急速に高まる危機を乗り越え、日本再建を成し得るかを問う討論会だった。

日本再建は憲法改正なしにはあり得ない。従って主題は当然、憲法改正だった。

月例研究会に麻生副総理の出席を得たことで改正に向けた活発な議論を期待したのは、大勝した自民党は党是である憲法改正を着実に進めるだろうと考えたからだ。

が、蓋を開けてみれば氏と私及び国基研の間には少なからぬ考え方の開きがあると感じた。憲法改正を主張してきた私たちに、氏は「自分は左翼」と語り、セミナー開始前から微妙な牽制(けんせい)球を投げた。

セミナーでも氏は「最近は左翼じゃないかと言われる」と述べ、改正論議の熱狂を戒めた。私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないという氏のメッセージだと、受けとめた。

「憲法改正なんていう話は熱狂の中に決めてもらっては困ります。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」「しつこいようだが (憲法改正を)ウワァーとなった中で、狂騒の中で、狂乱の中で、騒々しい中で決めてほしくない」という具合に、氏は同趣旨の主張を5度、繰り返した。

事実を見れば熱狂しているのは護憲派である。改憲派は自民党を筆頭に熱狂どころか、冷めている。むしろ長年冷めすぎてきたのが自民党だ。いまこそ、自民党は燃えなければならないのだ。

にも拘(かか)わらず麻生氏は尚(なお)、熱狂を戒めた。その中でヒトラーとワイマール憲法に関し、「あの手口、学んだらどうかね」という不適切な表現を 口にした。「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった」と氏はいうが、その事実はない。有り体に言って一連の発言は、結局、「ワイマール体制の崩壊に至った 過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと私は受けとめた。

第一は櫻井氏が麻生副総理をことを護憲派と見ていることである。第二は、麻生氏がナチスを引き合いにしたことを、「ワイマール体制の崩壊に至った 過程からその失敗を学べ」ということだと受け止めたということである。

私は、麻生氏の全発言を読んだが、どうしても櫻井氏のようには読めなかった。もちろん、櫻井氏のように距離的にも政権の近くにいる人にとっては政治家の本音というものがよく見えるのかもしれない。私のまわりにも本音と建前の違う人、文章と人格の違う人が多々いる(おっと脱線しそうになった)。

ただ、かりに櫻井氏の見方が間違っていないにしても、政治家にとって言葉は命である。このように憲法を軽い言葉で語るべきではない。とくに研究会など場ではよく準備して慎重に言葉を選んで語るべきだ。麻生氏の発言は、麻生内閣の失態というより、日本と日本人全体を傷つけるものである。改憲派であろうが護憲派であろうが、麻生発言を批判するのは当然のことである。

いずれにしても、櫻井氏はまず麻生氏の責任をまず問うべきなのである。ところが、なぜか麻生氏の発言については、これ以上は踏み込まず次のように言う。

憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、朝日新聞はまったく別の意味を持つものとして報じた。

たとえば1日の「天声人語」子は、麻生発言を「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう」と書いた。前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」けば、麻生氏が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしているなどの解釈が如何(いか)にして可能なのか、不 思議である。天声人語子の想像力の逞(たくま)しさに私は舌を巻く。

中略

朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした。そこには公器の意識はないのであろう。朝日は新たな歴史問題を作り上げ、憲法改正の動きにも水を差し続けるだろう。

いつの間にか、朝日批判に替わっている。護憲・改憲派に関係なく、日本の信用を国際的に失墜させるようような発言をした本人ではなく、その報道をした朝日に批判の矛先を向けている(私は朝日を擁護しているわけではないし、立派な新聞社だと思っている訳でもない)。

私は櫻井氏の考え方にいつも賛成ではないが、ジャーナリストとしていつも冷静でそれでいて理路整然と発言する櫻井氏が嫌いではない。しかし、どうもこの文は冷静さを欠いているような気がする。

まったくうがった見方をすれば、改憲論議がおおいに進むだろうと起用した麻生副総理が、護憲的な発言だけではなく、これまでの論議を台無しするような問題発言をしてしまったことに対するいら立ちから、それを報道した朝日新聞に八つ当たりしているというふうに見える。

ちょっと櫻井氏らしくない。

憲法に関する議論は、喧々囂々(けんけんごうごう)ではなく、侃々諤々(かんかんがくがく)とすすめるべきである。

| | コメント (0)

麻生発言

麻生副総理の発言。

全体の論旨からははずれるが、私が突っ込みたいのは次のくだり。

そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の 部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、 偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。

もう、お分かりですね。「喧々諤諤(けんけんがくがく)」は誤りである。正しくは次の通りである。

喧々囂々(けんけんごうごう)=多くの人がやかましく語り合うようす。
侃々諤々(かんかんがくがく)=堂々と議論すること。

「喧々諤諤」はこの二つが混同した誤用である。麻生さんは、おそらく侃々諤々の意味で言ったのだろうが、喧々囂々だったようにも聞こえる。こういう立派な言葉を使うときにはしっかり吟味して慎重に使わなければ。

いろいろな人が麻生発言を批判しているが、私が一番危惧するのは言葉の軽さである。もっと慎重に言葉を選んでほしい。一政治家として批判されるだけならそれでかまわないが、国際的に「日本人の本音」ととられるのが一番こわい。

http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html

| | コメント (0)

不用意な発言

防衛省の沖縄防衛局長が、酒席での不用意な発言で更迭されることになった。非公式の席でおそらく「オフレコ」のつもり話したつもりだろうが、こうした発言は「品位のなさ」「女性蔑視・沖縄蔑視の本音」が表明されたものということになったようだ。その発言の影響力は大きすぎるし、自らの体験と結びついて心に深い傷を負った人もいるだろう。大臣としては更迭せざるを得ないだろう(ただ、実際にどう言ったのかはどうもはっきりしない、報道によって微妙に異なっている)。

ふり返ってみると、私もずいぶん不用意な発言してきた。「スピーチと○○ー○の丈は短いほどよい」「たたみと女房は新しいほうがよい」くらいは平気で言う。一つ一つ取りざたされたら、危ない発言は山ほどしている(もちろんここには書けない)。大物ではないから影響力もない。傷つく人もいない(女房も「亭主は新しいほうがよい」と思っているはずだ)。「品性がない」と思われるかもしれないが、自分の本性だから仕方がない。

| | コメント (0)

九州の人間ですけん

松本龍復興担当相の岩手県知事、宮城県知事への発言をきいてあきれた。
内容の問題はともかく言葉遣いがなっていない。大臣が知事に対して言う言葉遣いではない。言葉遣いを知らない人に大臣はさせるべきではない。

もちろんことの人の言葉遣いの中に、政治家としての資質や姿勢のある一面を感じる。それを問題にすることもできるのかも知れないが、とにかく「言葉遣いを知らない」という一点だけで政治家としては失格である。

ついでに言えば、その言い訳に「九州の人間ですけん」にも驚いた。東北人にも謝罪してほしいが、九州人にも謝罪してほしい。

| | コメント (1)

人間論(その1)

鈍い奴は強い。
強い奴は鈍い。



| | コメント (0)

二兎を追う者は一兎をも得ず

卯年なのでウサギにちなんだ諺

二兎を追う者は一兎をも得ず

二つを得ようとすると、一つも得られない。つまり一つのことに集中せよということだ。しかしこの諺がいつも説得力をもつほど現実は単純ではない。それどころか、さまざまなことをバランスよくこなしていかなければならないことのほうが多い。

諺はある限定された状況においてのみ有効である。現実は複雑である。
私は二兎も三兎も追うのだ。

| | コメント (0)

おめでとう

次の各府県の住民の皆様、ご出身の皆様、おめでとうございます。

鹿児島、本、福、愛山、大良、岐、静、山玉、城、

音楽に関係のあるもの

(十三絃)、古、歌舞伎、喉、黒、、、律、浄瑠璃
(伝統音楽関係が多いような気がする)

私(わたし)の好きなもの

私が気づかずによく使っていた言葉

える、陶視、間、ノ門、、親、便密、嫉妬、払欲、唾、疲損、

永久に書けそうにない字

鬱、淫

| | コメント (0)

より以前の記事一覧