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ことば

2020年6月15日 (月)

ラジオ英会話

いい歳こいてと言われそうだが、ダメ元で昨年の途中からNHKラジオで「ラジオ英会話」という番組を毎朝聴いている。勉強の成果は見えないが、この番組の講師の大西泰斗氏(その分野では名の知れた人らしい)の提唱している文法が少し面白い。いろいろあるが、基本文型を次のように説明している。

自動型   I jog.
対象を伴わない単なる動作を表す。

説明型 Jonh is a student.
主語についての説明、be 動詞が一般的だが、ほかの動詞が使われた場合「オーバーラッピング」と呼ぶ。

他動型 I like Mary. 
動詞による働きかけが直接対象(目的語)に及ぶ形

授与型 I gave Mary a present. 
「あげる・もらう」といった授与関係を表す形。

目的語説明型
We call him Jimmy.  目的語の説明が構造するという形。him=Jimmy

その日のテキストをこのような型分類して説明している。
言ってみれば、SV  SVC  SVO SVOO SVOC のことだが、高校時代にこうやって説明されたら少しはわかりやすかったかなあ。
たとえば、授与型なら「〜に〜をやる」と訳せばなんとかなる。目的語説明型なら「彼はジミーだ」でなんとかなる(そうなるように動詞が働いてる)。

おもしろいが、私にとっては道は険しい!

2020年5月28日 (木)

lift 解除

"lift" に「解除する」という意味があるようだ(恥ずかしながら知らんかった)。「持ち上げる」という意味とどう繋がっているのだろう。
The Japanese government has lifted the state of emergency in the last five of the country's 47 prefectures.
ミッションだの、ファクトだの、エビデンスだのという語が平気で日本語として使われる時代である。
「緊急事態宣言をリフトする」・・まだこなれない言い方だが、頻繁になってくると使われるようになるかも知れない。

2019年5月25日 (土)

暑い

暑いのは嫌だが、一つ良いことがある。普通は「こんにちは」と形式的な挨拶しかしない場合でも、「暑いですね」と加えることでコミュニケーションのきっかけができる。

昨日は、散歩中にいろいろな人と「暑いですね」からはじまる会話をした。まあ、時間にゆとりがある暇人だからできるんだけど。

 

2017年11月19日 (日)

忸怩

自民党の義家弘介議員の加計問題に関する国会質問の中での発言

「文部科学省の組織的な天下り斡旋に自身も関与を指摘され引責辞任をされた前川前次官、恣意的な報道を繰り返してきたマスコミのみなさま、また、野党議員による根拠はないが結論はありきといった姿勢の追及に対し、忸怩たる思いを抱いてまいりました」

「忸怩」が気になる。

友人の国語教育研究者がFBに投稿していて気がついたのだが、「忸怩」とは、「恥じ入るさま」だそうだ。広辞苑もこう定義している。だから、このまま読むと「追求があり、(与党の議員として)とても恥ずかしい思いをしている」という意味になる。ただ、それなら、自民党議員としても反省しているという意味になるからとても良いことだが、「根拠はないが結論はありきといった姿勢の追求に対し」てなら恥じ入る必要はない。

ちょっとカッコよさそうな言葉があったので使ってみたくなったのだろうが、国会という場で、またそれを野党やマスコミ批判のために使うなら、もっと調べて使えばよい。まだまだヤンキーだな。

かくいう私も言葉使い間違いはよくする。「忸怩」も意味をずっと取り違えていた。ただし、自分の個人的なブログやSNSの範囲でのことで、自分一人が忸怩たる思いをするが、間違いを訂正すればそれですむことだ。

2017年1月 3日 (火)

干支

私のHPには、その年の干支(えと)と、十二支にちなんだ諺を掲載することにしている。
今年の干支は、「丁酉」(ひのととり)である。

ここで、簡単に干支の復習

干支の干(かん)とは十干のことである。

甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸

意味は、木、火、土、金、水のそれぞれ兄、弟で訓読みすると、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、と読む

10年で一周するのだが、西暦の最後の1桁に4のつくのが甲(きのえ・こう)年である。だから、0がつくのは庚(かのえ)である。ちなみに今年は7がつくので丁(ひのと)である。

次は支だが、これは誰もが知っている十二支であり、12年を周期にしている。

子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

こちらは12で割り切れるのは申年である。それから、西暦がわかればどの年が何の年かはすぐに分かる。今年、2017を12で割ると1余るので、申の次の酉である。

分かりやすい例を一つ。例えば、1924年は10で割ると余りが4(最後の一桁が4)。12で割っても余りは4。つまり、「甲子」の年。この年にできた野球場は「甲子園球場」と名付けられた。

ついでに、10と12の最小公倍数をとると60。干と支が両方会うのは60年に一回。だから60歳になることを還暦というのだ。今年還暦を迎える人は、60年前丁

酉年(1957)に生まれた人のことである。⚪⚪︎さん、おめでとう。

さて、では今年の十二支にちなむ諺

「雉(鳥)も鳴かずば撃たれまい」が気に入った。世の中の人から攻撃されないよう、しずかに潜んで生きようということだ、しかし、これを人に話したら「それはあまりにも内向きなんじゃない?」と言われた。で、反省して訂正した次第。少しは鳴くことにする。

2015年1月 7日 (水)

違和感

今朝の新聞広告
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「頭痛が痛い」と同じですね。

 

 

という記事とは関係なく、「違和感」という言葉について。

 

「違和感」というのはとても便利な言葉である。どこが痛いという訳ではないのだが、なんとなく体調がおかしいと感じる場合に「違和感がある」というような使い方をする。こういう場合は、なんらかの病気のあらわれの場合が多いので医者に診てもらってその違和感の正体をはっきりさせたほ
うがよい。

 

 

さらにこの「違和感」は意見の表明に使われることがある。「○○の発言には違和感がある」。つまりその根拠がはっきりしないが何となく反対したいときに使う言葉である。どうも最近多用されているような気がする(実は私もよく使っている)。

 

しかし、日常会話ならいざ知らず、議論や文章の中で違和感だけを表明するのは如何なものか。されたほうは、何が問題かもわからないし反論のしようもない。だから議論の中で「違和感」という言葉を使うのは卑怯でさえある。

 

違和感というのはそれが違和感である限りは個人的な感覚以上のものではない。もしそれを表明しようとするならば、その根拠を探しだすべきであり、それを違和感の正体として明らかにすべきである。もちろんその場合には「違和感」などという卑怯な言葉を使う必要もない。

 

というわけで、肝に命じたい。

 

違和感が違和感であるうちは、「違和感」という言葉を使わない。

 

 

 

 

2014年1月 2日 (木)

新年おめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

ホームページに書きましたとおり、本年の干支は甲午(きのえ)です。
甲は十干の始めの年。つまり最初に戻ったことになります。西暦と言うと最後の一桁が4の年が甲年ということになります。

毎年ホームページには十二支にちなんだ言葉を掲載しますが、「馬の耳に讃美歌」といたしました。これには私なりに深い深い意味がありますが、そっと胸にしまっておきたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


2013年12月16日 (月)

指示語

年をとると、指示語が多くなる。自覚があればよいのだが、自覚がないのは困ったものである。

昨日のミーティング。私は知らないうちにかなり指示語を使ったらしい。「あれをこうして、これをそうして・・・・・・、これからあれに・・・・・」。とうとう出席者の一人から「あれやこれではなんのことかわかりません」と叱られてしまった(泣)。

でも言ってもらってよかった。時々言葉が思い出せなくなることは自覚しているのだが、「あれ」や「これ」をそんなに使っているとは自覚していなかったからだ。まずはおちついてゆっくり、何をいいたいのかきちんと準備して話すことが大切だな!

2013年8月 6日 (火)

麻生発言(続き)

昨日(8月5日)付『産経新聞』朝刊に櫻井よし子氏が奇妙なことを書いておられる。本日電子版にも掲載された。

7月29日、私が理事長を務める国家基本問題研究所(国基研)は「日本再建への道」と題した月例研究会を主催した。衆議院、都議会、参議院の三大選 挙で圧勝、完勝した安倍自民党は、如何(いか)にして日本周辺で急速に高まる危機を乗り越え、日本再建を成し得るかを問う討論会だった。

日本再建は憲法改正なしにはあり得ない。従って主題は当然、憲法改正だった。

月例研究会に麻生副総理の出席を得たことで改正に向けた活発な議論を期待したのは、大勝した自民党は党是である憲法改正を着実に進めるだろうと考えたからだ。

が、蓋を開けてみれば氏と私及び国基研の間には少なからぬ考え方の開きがあると感じた。憲法改正を主張してきた私たちに、氏は「自分は左翼」と語り、セミナー開始前から微妙な牽制(けんせい)球を投げた。

セミナーでも氏は「最近は左翼じゃないかと言われる」と述べ、改正論議の熱狂を戒めた。私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないという氏のメッセージだと、受けとめた。

「憲法改正なんていう話は熱狂の中に決めてもらっては困ります。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」「しつこいようだが (憲法改正を)ウワァーとなった中で、狂騒の中で、狂乱の中で、騒々しい中で決めてほしくない」という具合に、氏は同趣旨の主張を5度、繰り返した。

事実を見れば熱狂しているのは護憲派である。改憲派は自民党を筆頭に熱狂どころか、冷めている。むしろ長年冷めすぎてきたのが自民党だ。いまこそ、自民党は燃えなければならないのだ。

にも拘(かか)わらず麻生氏は尚(なお)、熱狂を戒めた。その中でヒトラーとワイマール憲法に関し、「あの手口、学んだらどうかね」という不適切な表現を 口にした。「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった」と氏はいうが、その事実はない。有り体に言って一連の発言は、結局、「ワイマール体制の崩壊に至った 過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと私は受けとめた。

第一は櫻井氏が麻生副総理をことを護憲派と見ていることである。第二は、麻生氏がナチスを引き合いにしたことを、「ワイマール体制の崩壊に至った 過程からその失敗を学べ」ということだと受け止めたということである。

私は、麻生氏の全発言を読んだが、どうしても櫻井氏のようには読めなかった。もちろん、櫻井氏のように距離的にも政権の近くにいる人にとっては政治家の本音というものがよく見えるのかもしれない。私のまわりにも本音と建前の違う人、文章と人格の違う人が多々いる(おっと脱線しそうになった)。

ただ、かりに櫻井氏の見方が間違っていないにしても、政治家にとって言葉は命である。このように憲法を軽い言葉で語るべきではない。とくに研究会など場ではよく準備して慎重に言葉を選んで語るべきだ。麻生氏の発言は、麻生内閣の失態というより、日本と日本人全体を傷つけるものである。改憲派であろうが護憲派であろうが、麻生発言を批判するのは当然のことである。

いずれにしても、櫻井氏はまず麻生氏の責任をまず問うべきなのである。ところが、なぜか麻生氏の発言については、これ以上は踏み込まず次のように言う。

憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、朝日新聞はまったく別の意味を持つものとして報じた。

たとえば1日の「天声人語」子は、麻生発言を「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう」と書いた。前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」けば、麻生氏が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしているなどの解釈が如何(いか)にして可能なのか、不 思議である。天声人語子の想像力の逞(たくま)しさに私は舌を巻く。

中略

朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした。そこには公器の意識はないのであろう。朝日は新たな歴史問題を作り上げ、憲法改正の動きにも水を差し続けるだろう。

いつの間にか、朝日批判に替わっている。護憲・改憲派に関係なく、日本の信用を国際的に失墜させるようような発言をした本人ではなく、その報道をした朝日に批判の矛先を向けている(私は朝日を擁護しているわけではないし、立派な新聞社だと思っている訳でもない)。

私は櫻井氏の考え方にいつも賛成ではないが、ジャーナリストとしていつも冷静でそれでいて理路整然と発言する櫻井氏が嫌いではない。しかし、どうもこの文は冷静さを欠いているような気がする。

まったくうがった見方をすれば、改憲論議がおおいに進むだろうと起用した麻生副総理が、護憲的な発言だけではなく、これまでの論議を台無しするような問題発言をしてしまったことに対するいら立ちから、それを報道した朝日新聞に八つ当たりしているというふうに見える。

ちょっと櫻井氏らしくない。

憲法に関する議論は、喧々囂々(けんけんごうごう)ではなく、侃々諤々(かんかんがくがく)とすすめるべきである。

2013年8月 4日 (日)

麻生発言

麻生副総理の発言。

全体の論旨からははずれるが、私が突っ込みたいのは次のくだり。

そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の 部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、 偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。

もう、お分かりですね。「喧々諤諤(けんけんがくがく)」は誤りである。正しくは次の通りである。

喧々囂々(けんけんごうごう)=多くの人がやかましく語り合うようす。
侃々諤々(かんかんがくがく)=堂々と議論すること。

「喧々諤諤」はこの二つが混同した誤用である。麻生さんは、おそらく侃々諤々の意味で言ったのだろうが、喧々囂々だったようにも聞こえる。こういう立派な言葉を使うときにはしっかり吟味して慎重に使わなければ。

いろいろな人が麻生発言を批判しているが、私が一番危惧するのは言葉の軽さである。もっと慎重に言葉を選んでほしい。一政治家として批判されるだけならそれでかまわないが、国際的に「日本人の本音」ととられるのが一番こわい。

http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html

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