EP盤
かおるちゃん、ジャジャジャジャン のレコードである。
EP盤、あるいはドーナツ盤と言う。1分間に45回転である。CD以前は、シングルはこの媒体で提供されていた。ただし、シングルと言っても、裏面にも1曲入っているので計2曲入っている。表をA面、裏をB面と呼んでいた。
大きな穴があいているのは、ジュークボックスで自動的にレコードを掛けたり取り替えたりしやくすくするためである。
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かおるちゃん、ジャジャジャジャン のレコードである。
EP盤、あるいはドーナツ盤と言う。1分間に45回転である。CD以前は、シングルはこの媒体で提供されていた。ただし、シングルと言っても、裏面にも1曲入っているので計2曲入っている。表をA面、裏をB面と呼んでいた。
大きな穴があいているのは、ジュークボックスで自動的にレコードを掛けたり取り替えたりしやくすくするためである。
エジソンが蓄音機(当時日本では蘇音器)を発明したのは1977(明治10)年である。そして日本では、1979(明治12年)に御雇外国人のユーイングという人がそのコピーをつくったと言う。
倉田喜弘『日本レコード文化史』(岩波現代文庫・1100円)
このレコードの発明は、日本人を大いに驚かせたようだ。レコードの発明について、日本の唱歌教育の指導者の一人である神津専三郎は雑誌に「蘇言機ノ事」という見出しで、「人心ヲ脅シタルテレフホニー(談話電機)モ、今日に到ッテハ蘇言機と名ヅクル新異ノ為ニ廃触セラレタリ・・・有名ナル電学家ニシテ、博士徳馬士以慈孫(トウマスイジソン)・・・唱歌及ビ演説ノ諸学科ニ於て、一大改革ノ起ラン事必セリ」と書いたそうだ。
エジソンの発明から130年、この録音技術は大きく発展してきた。エジソンの蓄音機から円盤形のレコードへ、そしてLP、ステレオ、CDへ。
CDが最初に発売されたのが1982年。もう24年もたったのか・・・いやまだ24年と言うべきか。大学生にはLPレコードを見たことがないというのもいる。
レコードの歴史は日本の歴史でもある。日本のレコード史がわかる貴重な本である。
今度は入力装置である。
レコード・プレーヤーである。今はアナログ・レコード・プレーヤーと言うそうだが、昔はプレーヤーと言えばこれだった。ショスタコーヴィッチ作曲「交響曲第15番」がかかっている(聞こえますか)。
このプレーヤーはバザーでコンポを10000円で買ったらアンプ類がだめで、このプレーヤーとスピーカーだけが健在だったので大事に取っていたものだ。ここに来て生き返った。
Technics SL-J80R
針は、インターネットで簡単に手に入る。私が死ぬまでくらいの分はストックしておくことにしよう。
そして、レコード・プレーヤーになくてはならないものがこのフォノイコライザーである。
プレーヤーとアンプの間に接続する。
audio-technica AT-PEQ3
このフォノイコライザーの働きを説明するのはなかなか難しいので省略するが、レコードプレーヤーをならすにはこのフォノイコライザーが必要なのである。
ただし、次の場合は必要がない。
・アンプにPHONO入力端子がある。これはアンプにフォノイコライザーが内蔵されている。
(プリアンプの場合も同じ)
・最近は、フォノイコライザー内蔵プレーヤーが売り出されている。不思議なことだが、安価なものに内蔵されていることが多い。
・プレーヤーで安価なクリスタル・ピックアップが使われている。(このようなプレーヤーはレコードを痛めるのでおすすめできない)
本当はこのフォノイコライザーも真空管式にしたい。これもキットが出ているので組み立てたいのだが、お金と時間がない。残念ながら、しばらくこの製品を使う。
私の自宅の自慢の(?)オーディオを紹介する。
お金をかけないで、音を楽しむ方法だ。
まず、オーディオのCPUとも言うべきアンプから。
見たとおり真空管アンプである。
6L6GCシングルステレオパワーアンプ TU-879S である。
キットだから、説明書通りに半田付けすればできあがる。真空管アンプ、本当は自分で設計くらいしたいのだが、計算式などすべて忘れた。それに自分で一つ一つコンデンサや部品をそろえるのも大変だ。それでも、半田付けではだいぶ苦労した。
これはキット2台目である。
真空管はロシア製の6G6LHがついていた。少しふにゃっとした音だったが、KT88相当の中国製の6550をYahoo!のオークションで手に入れて取り替えたら、しっかりした音が出るようになった。結構満足している。
地震の被害は予想以上に拡大している。まだ安全確認ができていない地域もあるようだ。心配だ。国は安全確保と復旧に全力をつくしてもら いたい。国民の安全を守ること。国家の最大の役割である。
今日はオーディオの話
昔のステレオから取り出したジャンク品の20センチのスピーカーが一組あった。捨てるのはもったいないので何とかできないかと思っていたら、平面バッフル について書いてある本に出会った。
・長岡鉄男『世界でただひとつ自分だけの手作りスピーカーをつくる 7000円から楽しめる不思議で奥深い魅力』(講談社・1680円)
スピーカーが振動している時には、スピーカの振動は前方に空気の振動を伝えるが、後方にも振動を伝える。もしスピーカを裸のまま鳴らすと後方から伝わって くる空気の振動と前方から伝わってくる空気の振動が干渉しあって音が弱くなる。波長の長い低音ほどその傾向が強くなる。これを防ぐ一番理想的な方法は壁に よってスピーカーの前方と後方を完全に遮断してしまうことだ。しかし、そんなことはできっこない。できっこないので密閉した箱に穴をあけてそこにスピー カーをとりつける。そうするとスピーカの前方と後方は遮断されることになる。これが私たちがいつも見慣れているスピーカシステムでる。ただ、これも問題点 がある。箱にはかなりの厚みが必要になる。でないと箱が共鳴して下品な音が出る。またきちんと音が出るにはスピーカーの大きさに応じたそれなりの容積がい る(これはスピーカーの小型化で最近は解決してきたが、20センチのスピーカーの場合、かなり大きな箱を作らなければならない。お金がいるし作るのも大変 である)。箱の中の空気がバネ(抵抗)の役をしてスピーカーの動きを悪くする。
それで考えたのが平面バッフルである。完全に遮断できなくてもある程度大きな板に穴をあけてスピーカーをとりつける。広ければ広いほど遮断した状態に近く なる。それでかかりつけの木工屋さんに頼んで、21ミリのサブロク合板(90センチ×180センチ)を二つに切って(正方形)、その中央に穴をあけたもの を作ってもらった。そにスピーカーをつけて立てかけて聴いてみた。すごい音だ。2W×2の真空管アンプなのだが、大迫力である。やはり、箱に入ってないか ら空気の抵抗が少ないのか。しかしこんな大きなものをたてかけたままにするわけにはいかないので、上方を天井にぶらさげ、下方を本棚の上に載せた。斜めに している。
写真はこちら
ついでにこちらは8センチのスピーカーを自作のボックス に取りつけたもの。バスレフ(低音を出すために筒がとりつけられている・下の丸い穴)式である。筒に使ったのは、内径4センチの塩ビ管である。まだ調整し ていないのでとても下品な音である。
ただし、言っておきたいことだが、こんなことをするのは美しい音を追求しているわけでもない。あくまでおたくな趣味で作ることを楽しんでいるだけである。
音楽を楽しむだけならアイワあたりが出しているようなミニコンポで十分である(立派な音である)。10倍お金をかけたからと言って、音が10倍よくなるわ けでない(私の感覚では1.2倍くらいである。5~6年前に、アイワのミニコンポの十分くらいする高価なコンポを衝動買いして次の日に後悔した。今でも後 悔している)。
録音の歴史をたどると感慨深い。
エジソンが蓄音機を発明したのが1878年。録音媒体は円筒型。そし約10年後にの1889年にベルリーナが円盤型の畜音機を開発する。30年の競争を経 て円盤式が勝利。さらにマイクロフォンやスピーカー、真空管の発明にともなって録音は電気式になっていく。それでも30センチのレコードで録音時間は最長 で片面5分程度。例えば、ベートーベンの交響曲第5番の場合4枚組である。第2次世界大戦後にLPが登場する。これによって1枚のレコードの中に交響曲が 1曲入るようになる。その後マルチチャンネル録音(ステレオ)が登場する。そしてこの「ステレオ」という言葉がオーディオ機器の代名詞になる。しかし、ど れだけ音が改善されても、また、使用者がどれだけ大切にあつかってもレコードは摩耗した。半永久的なものではなかったのである。
しかし、1980年状況は一変する。CD、つまりデジタル録音の登場である。これまでの音質の改善の努力をあざ笑うかのように、従来のレコードを駆逐し まった。デジタルデータだから、永久に保存しておくことも可能になった。
エジソンからCDの開発まで、つまりアナログの歴史は、ほぼ100年である。CDの開発によって表面的には否定されたように見える100年である。しか し、音楽や音楽教育にとっては極めて重要な100年の歴史ではなかったか。音楽教育を「録音の歴史」という視点から見直すのもおもしろいかも知れない。
ひねくれ教育事典 【へ】の部
へいわきょういく(平和教育) 平和を愛する国民の育成をめざす教育・・でいいのだろう。となると平和の反対は戦争。だから戦争に反対する国民の育成をめ ざすということになる。平和教育と言えば、戦争の悲惨さを繰り返し教える、例えば沖縄戦や原爆の体験を語り継いで行くことがその中心的な実践になる。た だ、どうもこういった平和教育の構図には違和感を感じる。平和の反対は戦争というのもちょっとおかしい。平和を愛する国民が育てば戦争がなくなるものでも ない。現に世界のあちらこちらに戦争や紛争が起こっているが、その地域に住む人々が平和を愛していないからではない。というようなことを語ると無限の論争 に陥っていくのでここでやめる(^^;
昨日、私に関してけしからぬ人格攻撃をしている人間がいることを知った。言うに事欠いてというところだろう。私が行ったことや書いたこと、そのことを批判 されるのならそれはそれでよい。もちろん受けて立つべきときには受けて立つし、私が誤っていればすなおに認めるつもりである。人格攻撃はいっさいの議論を 否定する行為である。そういう意味では、研究者にはもっとも似つかわしくない行為である。
LPレコード
同僚の先生が、「叔父が残したクラシックLP5百数枚ある・・・」と言う。それで格安の値段で(本当にいいのかなあ?)譲りうけた。
段ボール7箱、大学院生のS君が家まで運んでくれた。こんなこともあろうかとプレーヤーはとっておいた。まだ、聴ける体制にはなっていない。針を換えたり 調整をしたりいろいろやることがある。聴き始めるまでにまだ時間がかかりそうである。
私は、音楽をながら聴きすることができない。だから、多分週末に1~2枚聴くのがせいいっぱいである。1回ではもったいないから、数回繰り返して聴くこと になるだろう。そうすると、一生楽しめそうである。
学務担当をしている。ある人のやり方があまりにもあこぎなので少々怒っている。昨日は何人かに怒りを(おだやかに)ぶちまけた。ここに書きたいが、書くと おおごとになりそうなのでやめる。
朝起きて一番に雑誌の原稿の校正をする。
やっつけ仕事で書いたつもりだが、読み直すとけっこういい文だと自画自賛。
今日は授業は2コマ、1日忙しくなりそうだ。
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